2/8古い地図
今朝は04:00にある取引の約束があったので5分前に目覚ましをかけて寝たけど、やっぱりアラーム音を聞くことはなかった。TORAさんありがとう。
道路は乾いているが、北風がめちゃめちゃ強く吹いているので朝練サボり。こんな逆風の中をもがいても楽しくないし、息があがって乳酸が溜まるだけだし、第一転んで怪我でもした日にゃあ笑われるだけだもんな。二度寝しよう。
で起きたら05:40になっていた。(まだそんな時間かよ)
通勤はバスを使わず4kmの道程を少し早めのウォーキングした。
今日も昨日と同じで強風が吹いて雪または雨模様らしい。
最近に限らずだが仕事柄、地図を見る機会が多い。
今は唐津市内の無線局の設備変更の設計をやっているので、昔のファイルから古い地図を探しだして見ていたら唐津市の中心を南から北へ流れる松浦川の東側に線路が書いてある。
川の西側には唐津線(佐賀駅~西唐津駅)があるが、東側は筑肥線と書いてあるから福岡から唐津を経由して伊万里へ至る国鉄時代の線路だろう。
この当時(いつ頃か分からないが)は東唐津駅は松浦橋の袂(虹ノ松原入口)付近にあって、福岡から来ると東唐津駅でスイッチバックして松浦川を南下し山本駅付近で唐津線と合流して本牟田部駅から再び分岐していたようだ。
当時は虹ノ松原を通る道路が唐津街道として交通の要だったようで、今の国道202号バイパスも二丈浜玉道路も地図には無い。だけど競艇場はしっかり載っている。今の鏡山の西側とは場所が違うけど唐津城対岸の栄町付近にしっかり書いてあった。
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コメント
それでは僕が。
東唐津駅が移動したりして、唐津におけるJRの駅の体制が現在のようになったのは比較的新しいのです。福岡市営地下鉄と筑肥線が相互乗り入れを行った、昭和56年の4月からだと思います。
ちなみに、その時に市内のJRの路線は、ほぼ高架線となりました。
このことは、前々市長野副さんの功績として、唐津市民はしっかり記憶しておく必要があると思います。
東唐津駅は、現在の唐津ロイヤルホテルのところにありました。
福岡市へ繋がる東唐津駅こそ、唐津から外の世界へ向うことの出来る「都会への入り口」そのものでした。
集団就職の見送りも故郷に帰省する子供のお迎えも全てが東唐津駅でした。
当時の東唐津駅の写真展をすれば、涙ぐみながら見入ってしまう唐津市民はたくさんいると思います。
zenbunの「街に歴史あり」でした。
ちゃんちゃん。
投稿: zenbun | 2006年2月 8日 (水) 20時22分
なるほどですねえ。zenbunさんコメントありがとうございます。
唐津やその沿線、更にこの近くのこの路線を利用する方々にとっては
昔から思い入れのある交通手段だったんですね。
こうなった経緯が福岡市営地下鉄が関係してるとは知りませんでした。
僕の田舎の大隅半島ではS49年頃垂水市の海潟駅~国分駅が繋がって
錦江湾を横切るフェリーに乗らなくても大隅線で直接鹿児島市内まで
行けるようになりました。
でも、数年後には赤字対象路線ってことで国鉄の財政対策として真っ先
に廃止になりました。
おかげでと言うか、垂水フェリーと桜島フェリーは益々発展し続けて
います。
投稿: massy | 2006年2月 8日 (水) 21時36分
大隈半島ですか。
今の僕には、旅情をかき立てられる言葉です。夏に行きたいですね。
しかし、
国鉄に関しては、様々なところで膨大な無駄があったのですね。
(鉄路建設が経済に寄与するという視点を入れれば全てが無駄ではないですが)
唐津も、西唐津から呼子まで、トンネルも含めて、線路を引くだけの状態になっておきながら(呼子には今も駅予定地が空き地のままあります)、開業しませんでした。
その後、跡地の利活用を検討しましたが、なんら方策を見出せずに今に至ってます。
一時サイクリングロードというのも、有力でした。サイクリングロードになっておけば、観光の「売り」にもなっていたのにと残念です。
僕はいっつも走っていたでしょう。
マジに残念です。
投稿: zenbun | 2006年2月 8日 (水) 21時56分
へー 歴史ですねw
僕が住んでた現在の筑前町にある甘木鉄道ですが国鉄時代は日本一の黒字路線だった時代があったそうです
理由は隣接する麒麟ビールの工場の出荷に貨物列車が使われていて甘木線から引きこみがあったそうです
そのうちトラック輸送が主流になり引込み線がなくなって(現在はポピーやコスモスが咲く花壇になってます)
甘木線は赤字路線になったそうです
これもまた歴史ですw
投稿: 福内鬼外(源内) | 2006年2月 8日 (水) 23時45分
話が反れてしまうかもしれませんが、massyさん、六本松の地下鉄の通りの一本大濠公園側の道、昔、西鉄の電車が走っていたと、聞いたことあるんですが、天神まで西鉄電車が走っていたらしいですね。
そう言えば、バスセンターも、妙にビルが長いように思います。
何も知らないオヤジですが、何故、バス路線になったんでしょうかね。
早く寝すぎて、目がさめました。
風邪は、大分よくなりましたが、今一です。
投稿: オヤジ | 2006年2月 9日 (木) 00時27分
オヤジさん、そうですよ。
城南線には、西鉄の市内電車が走っていました。
どんたくの時は、その市内電車を飾った「花電車」が走ってたんですよ。
市内電車が無い現在は「花バス」ですよね。
市内電車は地下鉄が出来るから無くなったんじゃなかったかなぁ~?
ちなみにmassyさんちの南を東西に走る通りがありますよね。
あの道も筑肥線の線路でした。
室見川の鉄橋を自転車で渡り、学校で叱られたものです(笑)
投稿: travessia | 2006年2月 9日 (木) 04時25分
やはり地元の方にはいろんな意味で思い入れがあるんですね。
城南線に線路があったことは聞いたことがあります。
六本松から僕んとこへ向かうと、なんで二本の道路が平行して
走っているのか不思議でした。筑肥線の跡だったんですね。
それで納得、室見川を渡る橋の名前、筑肥橋って言います。
昔はあの位置に鉄橋が架かっていたそうです。今でも街灯の
ポールにはさりげなく車輪が付いています。
大隅線は今はサイクリングロードが整備されています。
車・バイクの進入禁止になっているので交差点(昔の踏切)では
スピードを落とさないと危ないですが、誰も走っていないので
独り占めできますよ。
投稿: massy | 2006年2月 9日 (木) 06時36分