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2007年7月28日 (土)

梅雨明け間近の仙台練

3週間ぶりの自転車ブログであります。
昨夜の晩酌時には久々に長距離を走ろうと意気込んで寝たのだけど、今朝は身体中がだるくて仕方ない。疲れが溜まっているようだ。
シャワーの後、朝食をとり毎度のクリーニングの引取・預けを済ませ洗濯など雑用をして少し横になっていたら昼近くになってしまった。せっかくの休みが台無しになりそうだ。
と言うわけで身体に鞭打って(大げさだなぁ)ジャージ&レーパンに着替えアビー号を1階に下ろした。据え置きのポンプで適正気圧に充填して西へ向かうことにした。
東北・仙台はまだ梅雨の最中ではあるが、広瀬川添いの谷間の木立からは様々な種類の蝉の大合唱が聞こえてきた。気温も30℃もあり、気象台には悪いが勝手に梅雨明け宣言しようと決めた。
それでも走っていると風が心地よくジメジメするような気候ではない。今日はジャージの下に吸水性のいいアンダーシャツを着ているせいもあるかもしれない。いつもアンダーシャツ無しで走る時はジャージがまとわりついたりバタバタしたりして不快なことも多かったのだが重ね着しても涼しい不思議な感じだ。このアンダーシャツは密かにマイブームでビジネスでも愛用している。綿製のシャツは冬まで用無しだ。

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愛子駅で最初の給水タイム、次はめちゃ近いが電波高専まで走る。ここまでの距離なら朝練で何度も来ているが、そう言えば朝練しなくなってだいぶ経ったなぁ。雨と出張は仕方ないが、帰りが遅いことが多くなってしまった。果たしてこの状況はいつまで続くやら。

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観光シーズンでもないので作並街道の往来も比較的少ないようだ。時々大型車に道を譲ったりする以外はほとんどマイペースで左側を1mほど空けて走ってもクラクションを鳴らされることもない。いつもこうだったらいいんだけど。
熊ヶ根の交差点を右折し大倉ダムへの緩い坂を駆け上がったら満水の水を湛えた堰堤で3回目の給水タイムだ。深い緑に思わず深呼吸して心拍数を下げて再び出発する。

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湖畔の大倉小学校近くで右折すると1.5km&10%以上の坂を超え、今度は七北田ダムへ下りることになる。名もない峠で給水し50km/hで下りながら汗を乾かした。

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下りで十分疲れがとれたので七北田ダムへは立ち寄らず、一気に小角(おがく)まで下り泉中央を経由して仙台泉線をアパートへノンストップ(信号機以外)で走ることが出来た。
心地よい疲れが残ったが変な怠さはほとんどとれたようだ。

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明日は仕事で会社へ出なければならないが、週末くらいは走るようにしようと思う。来週はまた出張続き。

56.29km 2時間28分

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2007年7月17日 (火)

7/16仙台へ

予約した飛行機は14時発の羽田行きなので、家でゆっくりする時間もなく10時前に実家で母親を下ろしてその脚で空港へ向かった。

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つい最近崩壊した垂水の土砂崩れ現場を通過したがここには郵便局が建っていたらしい。今は跡形も無い。
国分(今は霧島市)を走っている頃だろうか。AMラジオが新潟方面で地震があったことを伝えている。NHK第一放送にダイヤルを合わせるとどうも大きな地震だったらしく東北全域で揺れたようだ。
職場関係に連絡をとらないといけないので車を止めて部下と関係会社に電話しまくることになった。おかげで携帯の電池が少なくなり近くのコンビニで電池を調達しまた電話を続ける。幸い関係先には被害がないようで安心したが原発や鉄道や道路に大きな被害が出てるようだ。上部組織に報告したあと再び空港近くのトヨタレンタカーに向かう。
予定の返却時間にはまだ50分近くあったが精算もなく空港まで送ってもらいANAにチェックインした。
フライトは予定通りだったが今度は東京からの新幹線乗り継ぎで一苦労。地震のせいでダイヤは大きく乱れて切符売り場には長い行列だ。窓口にたどり着くのに20分ほどかかってしまった。
仙台まで早い「はやて」は丁度満席になったところでMAXやまびこの座席指定がとれたがそれも予定より遅れるそうだ。結局東京駅22番線を出発したのは20分遅れで、それでも上越新幹線よりはましなようだったが仙台のアパートに着いたのは20時過ぎ。
やれやれ、やっぱり我が家が一番。そんな気分でシャワーを浴びて晩酌に突入。
ちかれた~。

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2007年7月16日 (月)

7/15~16.親孝行の真似事

実家でお茶を一杯すすったあと、カローラに母を乗せ今夜の宿へ出発する。
霧島か桜島の温泉宿をネットで探したのだが、どこも満杯で佐多岬のホテルを予約していた。だけど先日の大雨でアプローチの県道があちこちで崩れていて行くのも大変なようだ。
ホテルからは数日前に電話がありこんな状況なので地の魚やおもてなしが出来ないがそれでも構わないかということだった。残念だけど今回はキャンセルした。
で、次に探した志布志のホテルが空いていたので速攻で電話して予約し直したのだ。電話で和室を希望したのだが和・洋室なら取れるとのことでそれで予約したつもりが部屋に上がると純粋な洋室(ベッド2個)だ。畳の上しか寝たことのない母には辛そうと思い和室は無いのかと従業員に言うが今夜は空きがないらしい。がっかり。

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母はそれでも良いと言うので7階の部屋から半オーシャンビューの志布志湾+太平洋を眺め温泉もどきの大浴場に入りゆっくりしたあと夕食に行く。これまた和室ではなくレストランでナイフ・フォークこそ無いが私たち親子には似合わない食事をいただく。
伊勢エビや地の魚(志布志は大丈夫なようで)はとても美味しい。
自分は最初に瓶ビールをいただき志布志の地焼酎2合でちびりちびり呑む訳だが次から次に出てくる料理は味は申し分ないけど量が母には多すぎるようだった。

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焼酎2合がなくなり追加の1合を飲み干してお開きにし部屋へ戻った。自分も母もすぐバタンキュー。z Z  Z ー

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翌日の朝食も豪華なものだったが相変わらず母は半分ほどしか食べられない。これじゃ実家で手料理を食した方が自分も母も良かったかもしれないが、まあ勘弁してくれ。

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でも実家ではあまり会話も無いのだが少しは話せる時間を作れて良かった。

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2007年7月15日 (日)

7/15追い山~帰省

4時前に起きて大博通りまで歩く。台風4号は四国の南あたりまで行ったらしいが博多でも吹き返しの強い風が吹いている。小さな雨粒が時々落ちてくるので傘が必要なようだ。地下鉄の祇園駅近くに陣取り1時間ほど待つことになる。櫛田神社を出た流れの山が最初に通過する場所だ。

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雨脚が強くなった頃一番目の流れから始まって10基ほどの山が走り抜けて行くのを見物する。傘をさしていても濡れるほどの強い雨になったが、かきては勢い水をかけられてどっちみち濡れるのだが、幼いふんどし姿の子供たちは風邪をひきそうにぶるぶるふるえている。
見物を終わった脚で交通センターに行き高速バスの予約をとろうとするが午後2時出発まで満席だそうだ。鹿児島空港でレンタカーを予約してるのでバスがいいんだけどなぁ。昨日の台風の影響なんだろう。
仕方なく駅のみどりの窓口に行き九州新幹線に切り替えた。一時間後と二時間後の出発便が空きがあるようだ。これからシャワー浴びて準備すると慌ただしくなるので2時間後の8時の便をとったが空いているはずだ。各駅停車だった。
列車内では本一冊を読み時間を過ごした。鹿児島中央駅を降りると福岡より輪をかけてむっとするような暑さだ。
新八代~水俣間で徐行したので15分遅れで到着したので乗り継ぎ時間が少し(たったの5分)しかないが、なんとか空港行きのリムジンバスに間に合った。

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1時間うつらうつらしてる間に到着し、空港の総合案内所でレンタカー会社に電話してもらうと2~3分で送迎のマイクロバスが到着した。簡単な手続きを済ませて予約したカローラで大隅半島を実家へ向かう。

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思ったほど台風の爪痕はなく道路もすいていてなんの問題もなく実家に戻ることが出来た。

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家には近所のおばさんが立ち寄って母とお茶をすすりながら昨日の台風の話でもしてたらしい。おばさんにもお土産を渡し、仏壇に線香をあげ亡き父親に帰省の報告をした。
庭の草花はたっぷりの水をもらい生き生きと育っていた。

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2007年7月14日 (土)

7/14福岡連泊

今朝08:00amの台風4号(945hp)は奄美大島から九州南部に近づこうとしているようだ。幼い頃から台風には慣れて耐え続けた我が実家の古家だが今回は記録的な強さのようだ。果たして大丈夫か。
昼前までには九州内の南へ向かう列車・飛行機・高速バスなど全部止まってしまっている。早朝に実家へ電話するとこれから避難先に向かうと言っていた母親だがこれまでも何度かあったので淡々と話していた。妙に慣れているところが凄い。
ホテルでじっとしていても仕方ないので西鉄バスでマリノアシティへ行くことにする。別に何をお買い物するわけでもないのだが。
結局モンベルで折りたたみのリュックを買いペーパーバッグの携帯やら傘をリュックに移した。
時間もたっぷりあるのでマリノアからは歩いて戻ることにする。姪浜~愛宕~室見~藤崎~西新と歩く。室見川のカフェオレ色?に濁って水位は幾分高いのかな。橋を渡りながら上流へ何度も走ったことを鮮明に思い出す。金屑川も相変わらず濁っている。この少し上流に住んでいたので行ってみようかと一瞬思ったが行ったところで何するわけでもないので東を向いて歩き続ける。
西新の「しばらく」でラーメンを食した(もちろんバリ固)が替え玉はしない。
再び歩きはじめて大濠公園の西側入り口までやって来た。アメリカ領事館前には今日も警護のおまわりさんが頑張っていた。時計回りに大濠の池や以前と変わらぬ景色を楽しみながら半周して美術館前からNHKを経由して、これまた六本松界隈を徘徊する。名前(経営)が変わったり廃業した飲食店もいくつかあったようだが街の風景は何も変わっていないらしい。
赤坂~大名~天神と歩き大丸の喫茶コーナーで休みビールをオーダーする。昼間っから呑むハイネケンは美味しかった。
中州を通り過ぎる頃、山笠の流れが丁度戻ってくる場面に出くわした。中州流れの集団山見せが終わったようだ。博多一本締めで一旦お開きとなった瞬間だ。
だいぶ歩いて少しこわばった脚をほぐしに博多駅筑紫口近くのホテルへ戻った。明日は追い山を見てから高速バスで鏡島へ向かう予定。
筑紫口の居酒屋で一杯やって早めのホテル入りだ。台風4号は実家がある大隅半島を西から東へ抜けたようだ。母は避難先から戻って実家で寝るそうだ。まずは一安心。

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2007年7月13日 (金)

7/13博多出張

社用で博多出張ったい。
台風4号が沖縄本島を通過中の7/14午後、会議出席のため仙台から福岡へ飛行機移動する。空港に着いた瞬間からジトォっとする蒸し暑さ。涼しい仙台に慣れた身体には我慢出来ない暑さだ。
午後は事務所で会議。で終わった夕方に一旦ホテルにチェックインして夜半に及ぶ飲み会が続く。急な予約では空いてる飲み屋も少なく、なじみの(地元が)居酒屋で明太鰯や酢もつ・卵焼き(笑)などをいただく。
やっぱりこういう環境で呑む黒霧島が一番うまい。

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2007年7月10日 (火)

泥棒騒ぎ

7/10未明(04:00頃、未明と書いたが薄明るい)同じアパートに住む会社の部下がピンポーンと自分の部屋のチャイムを鳴らす。

こんな朝っぱらから一体全体何事かと玄関ドアを開けるとパニックになっている部下がそこに立っている。 04:00は、最近一回目の目覚めの時間(また寝て05:30に起きること多々)で、今朝もちょうど目が覚めた時間だった。隣室でドタバタと動き回る音と振動で何かただ事では無さそうな事が起きたような嫌な予感はしたのだが。

「泥棒に入られました」と第一声。何を盗られたのかと聞くと財布と言うので入っていたお金はいくら?他にカードとかもあるのか?と聞くとそうなんです。と答える部下。運転免許証からクレジットカード・キャッシュカード・社員カード・セキュリティカードなど現金(4万円)以外の重要な物がたくさんだ。こりゃ大事。

とにかく110番が先なので電話させながら自分はアパート3階から付近を見渡すが、おそらく犯人は逃げ去った後だろう。15分ほどで制服の警官2名が駆けつけた。こんな早朝からサイレンを鳴らしながら駐車場に入られたら近所迷惑だなあとか思ったが回転灯を回すだけで音は出さないように来てくれた。

部下に事情聴取しながら数分して鑑識官4名が到着しTVで見たような指紋採取などを始めた。そう言えば部屋の様子を見るために自分はドアの内側を触ったりしたのだが自分の指紋も採取されたのだろうか。後で自分もいろいろ聞かれるのだろうか。

部下は1時間ほど部屋で状況説明やら指紋採取に応じていたようだが廊下でただ突っ立てる自分も出来ることが無いので部下に午前中はカードの停止手続きや免許更新などをするように指示して一旦部屋に引きこもった。

自分は出社すると上位組織への報告と状況説明で自分もほぼ一日対応に追われた。部下は午後から出社したがIDカードが無く仕事を始められない状態なので仮カードを貸与して勤務を始めてもらった。銀行やクレジット会社への一通りの手続きが終わったらしく、もう出てはこないだろうとあきらめムードの部下に命があっただけで良かったじゃないかと声をかける。本当に無事で良かったと思う。

どうも玄関の鍵をかけ忘れて寝たのが切っ掛けらしいが不用心な社会になったものだ。寝ている部下の近くのテーブルに置いてあった財布だけを盗んでいくとは。

「施錠は良いか」「施錠ヨシ」ご安全に。

廊下に置いてあるアビー号が無事で良かったぁ。

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2007年7月 8日 (日)

7/7七夕練

6/21に梅雨入りした東北仙台だけど、たまに路上を濡らすような雨が降る以外は晴れと曇りが交互に続いている。九州では空梅雨から一転してものすごい雨のようだが輪友さんたちはいかがお過ごしなのかちと気にかかる。

7/7(土)は久々の自転車生活ができた。
休日出勤しないのいつ以来かな orz 。
(なんて書きながら今日もこれから出勤)

先週も出張や外勤続きとなった。
●7/2~7/4会津へ出張
●7/5は自動車学校で運転技能講習(要するに身に付いた癖や交通違反になりかねない速度超過や合図不履行などを指摘してもらう)。
・シミュレータで車と衝突
 2秒間のよそ見で飛び出た車を回避
 座席位置を変えたらいとも簡単にクリア
・動体視力と夜間視力測定
 メガネを外して検査したら何も見えず
 (当たり前かでも裸眼でやるものかと)
・運転適正検査
 (30分かけてやるところ考える暇もない2分で
 答案に○を書く)
・40km/時からフルブレーキング
 (フルのつもりでも目一杯踏んでいない)
・頭から車庫入れバックで戻る
 (寄せる側を見誤って3回切り返した。
 4回だと検定中止らしい)
・バックで直角クランク
 (やっぱり寄せる側を間違った。
 2回切り返しでなんとかセーフ)
・バックでS字(1回切り返しでOK)
●7/6は埼玉日帰り出張

朝は6時に起きてまずシャワーを浴びながら同時に洗濯機のスイッチON。朝食を済ませて散髪へ行き、戻ってからクリーニング店へ行く。
マイカー車検のためディーラーへ、帰りは代車(軽自動車)でGO。
途中ショップからホイールが届いたとの留守電有り。
と言うわけで(どんな訳やねん)レーパンとTシャツに着替えてSPDシューズを履きアビー号を3階から地上に降ろすと気合いも入りちんたら走る訳にはいかなくなる。これも自転車乗りのサガかな。
ショップまでは10kmほどだが80回転以上でクランクを回す脚は健在らしい。ベルエキップに着くとちょうど前客の対応が終わったところらしく、到着早々ホイール交換をやってもらった。店頭に並んだ戦闘的なロードレーサーがどうだと挑発してくれるが今の自分には青檸檬号どころかアビー号でも十分すぎる。

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邪魔にならないようそばで観察するが、いとも簡単に2分ほどでタイヤ交換をするショップオーナーにただただ関心するばかりだった。

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アビー号の純正はシマノのWHM540が付いているが先日のオーバーホールでもがたつきが取れないでいた。交換するホイールはアビー号(26インチ)にはエンド幅のサイズの都合でMTB用しか選択の余地がなくオーナーと相談のうえMAVICのCROSS TRIALを選んだ。
カセットは今のシマノCS-M900Q(12,13,14,16,18,21,24,28T)からギア比の小さいアビー号純正(自分家で保管中)を付けてもらった。回せるか不安大!!

で、どう変わったかと言うと、
がたつきはもちろん無く、フレームとホイール軸が溶接でつながっているようなガッチリ感というのか、とにかくロスが全然無くて踏んだだけキッチリ進むようになった。坂は全然無い空港までの往復を走っただけなのでギア比の関係はわからない。28Tがないから激坂は脚を着くことになるかも(汗)。

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名取のサイクルスポーツセンターで周回コース(4km)を3周してから仙台空港まで行き水を飲んでから国道4号線を走って帰宅した。
預けたまんまの古いホイールは今日の夕方の車検終了に合わせて引き取りに行こう。
来週も相変わらず出張続きとなるが、週末は九州へ行けるかも!?。

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60.38km 2時間30分

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